旧約 12 / 66巻

列王記第二

要約 列王紀下は、南北両王国の滅亡を通して、人間の王の限界をありのままに示します。しかし裁きの中にあってもダビデ契約のともしびを守られる神の真実を示し、永遠のまことの王を待ち望ませます。

著者
著者不明(複数の預言者たちの記録をもとに後代にまとめられた書)
執筆年代
紀元前6世紀頃に編集(推定)
時代
分裂王国時代末期

背景

列王紀下は、分裂した二つの王国(南ユダ、北イスラエル)が衰退し、ついに滅亡に至る悲劇的な過程を扱っています。北イスラエルと南ユダはそれぞれ異なる道を歩んでいるように見えましたが、どちらも神と結んだ契約を捨て、背きの道へと突き進みました。 この書は単なる王朝の没落ではなく、神の民がなぜ異邦の民族(アッシリアとバビロン)の捕囚となったのかを説明する書です。列王紀下は、国家的な災いの原因を地政学的な危機や軍事力の劣勢ではなく、「神のことばに聞き従わなかった絶え間ない反逆」に見いだします。 しかし滅亡の灰の中にあっても、列王紀下は終わりを語りません。預言者たちの働きを通して神の忍耐を示し、最後の章で捕囚となっていたユダの王エホヤキンが回復される場面を通して、ダビデのともしびを消されない神の真実を示しています。

内容

列王紀下は、エリヤの働きを受け継いだエリシャを中心に始まります。神は王と制度が揺らぐ中にあっても、預言者を通してご自身のことばを語り続け、民を完全に見捨てることはなさいません。エリシャの働きは、神の力とあわれみが今もなお働いていることを示しています。 しかし北イスラエルは、度重なる警告にもかかわらず偶像礼拝を捨てません。ついに北イスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、これは神が長く忍耐された末に下された契約上の裁きとして描かれています。 南ユダもまた、何人かの改革の王の努力にもかかわらず、根本的な悔い改めに至ることができません。ヒゼキヤとヨシヤの改革は一時的に希望を示しますが、民の心まで変えることはできません。ついに南ユダはバビロンによってエルサレムと神殿を失い、捕囚として連れ去られます。 列王紀下は、エルサレムの陥落と神殿の破壊という悲劇で終わりますが、完全な絶望で締めくくられるわけではありません。最後の場面で、ダビデの子孫エホヤキンがバビロンで釈放される姿は、神がダビデに与えられた契約を完全には取り去っておられないことを暗示しています。 結局、列王紀下は人間の王国の崩壊を通して、人間からは出てくることのないまことの王と新しい回復を待ち望ませる書です。