サムエル記第一
要約 イスラエルの民の求めによって王政が始まり、サウルとダビデは神に選ばれて王となりました。サウルは人間の期待と肉に従った王の失敗を示し、ダビデは神の恵みと聖霊に従う王の型を示しています。しかし聖書はダビデさえも罪人であることを明らかにし、罪のないまことの王イエス・キリストを仰ぎ見させます。
- 執筆年代
- 紀元前10世紀頃に編集(推定)
- 時代
- 王政初期
背景
サムエル記上は、士師の時代の混乱が終わり、イスラエルに王政が始まる転換期を背景としています。民はもはや神を目に見えない王として信頼することができず、ほかの民族のように目に見える王を求めます。 この求めは単なる政治制度の変化ではなく、神を王として迎えることを拒んだ信仰の問題でした。サムエル記上は、人間の王を立てる過程の中で、神が今もなおご自身の主権を手放されることなく、歴史を治めておられるという事実を示しています。 この書の背景には「誰がまことの王なのか」という問いが置かれており、それは人間の王国の始まりが、そのまま人間の王国の限界を明らかにする舞台となることを意味しています。
内容
サムエル記上はハンナの祈りから始まります。子のなかったハンナの叫びに神が答えられたことによってサムエルが生まれ、これは神が新しい時代を開く準備を整えられたことを告げるしるしとなります。サムエルは王に先立って、神のことばを託された預言者として立てられます。 イスラエルはサムエルに王を求め、神は彼らの求めに応じてサウルを王に立てられます。サウルは外見上は王にふさわしい条件を備えていましたが、神のことばよりも自分の判断を優先し、次第に神から離れていきます。これは、人間の王が神に取って代わることはできないことをはっきりと示しています。 その後、神はダビデを選ばれます。ダビデはまだ王位に就いていませんでしたが、神に信頼する彼の心は、すでにまことの王の姿を示しています。ゴリアテとの出来事やサウルの絶え間ない追跡の中でも、ダビデは自らの手で王位を奪い取ることをせず、神の時を待ちます。 サムエル記上はサウルとダビデを対比させ、王の基準が外見や能力ではなく、神に信頼する心にあることを強調しています。しかしダビデもまた完全な王として示されてはおらず、より完全な王への期待を残します。 結局、サムエル記上は人間の王の失敗と対比を通して、罪と死に打ち勝つことのできるまことの王、神に完全に従われるダビデの子孫イエス・キリストを待ち望ませる書です。